恋人同士

彼と私の初体験は、車の中でした。

 

そこから私の家までは10分くらいです。

 

車を走らせながら彼が言いました。

 

「俺は、初めてだったんだけど、りっちゃんは?」

 

彼は、私の答えが当然「私も」というものだと思っていたはずです。

 

だけど私は少し口篭もってから、

 

「ちがう……」

 

と言ってしまいました。

 

過去のことは私にとってとても辛い体験だったんです。

 

いつか、本当に好きな人と結ばれたら、その人に、すべてを話してしまいたいとずっと思っていました。

 

好きな人に辛かった過去を話すことで、私自身が、その過去を克服できると信じていたんです。

 

相手にとっては迷惑な話ですよね。

 

知らん顔して「私も初めてだった」と言えばよかったんですよね。

 

それとも、それとも他にどうすればよかったんでしょうか。

 

「ちがう……」

 

と言ったあとに、私には言いたいことがありました。

 

だけど、彼は一言も私に話をさせてくれませんでした。

 

「今は、なにも聞きたくない」

 

それだけを言うと黙って、私の家まで車を走らせました。

 

私が車から降りるときも、ドアを閉めるときも、ずっと顔も見ずに黙ったまま彼の車は走り去って行きました。

 

翌日も会社は休みだったんだけど、朝の七時に彼から電話がありました。

 

携帯電話なんてない頃だったから、家族に聞こえるところで話をしなければなりません。

 

一睡もしていない、という彼は、私が寝起きの眠そうな声で電話に出たことで怒っていました。

 

「こんなときに、よく眠れるな」

 

と言われました。

 

私だって、眠れたのは夜中の3時すぎでした。

 

私はまだ彼と話し合えると思っていましたが、彼の次のひと言でそのチャンスは永遠に消されてしまいました。

 

「昨日聞いたことは、忘れることにした」

 

私は忘れてもらいたくなんかないのに。

 

「一週間経ったら、全部忘れて今までどおりに付き合う」

 

一方的に言われて、なにも言い返せませんでした。

 

両親に聞こえているからよけいです。

 

「一週間、電話しないから」

 

それだけ言って、彼のほうから電話を切ってしまいました。

 

一週間後に電話してきた彼は、いつもの彼に戻っていました。

 

それが非常な努力をして、そうしていることがわかったので、私はもう、その話を蒸し返すことができませんでした。

 

一番親しいはずの人に、一番言いたいことを言えない関係。

 

そんな恋人同士でいいんでしょうか。

 

なんだか大事なところですれ違いになったまま、私たちは、このあともしばらく付き合い続けました。